田舎の母に捧げるバラッドK

フシギな都会にいる僕が、田舎の母に送るコトバ

料理を毎日しているので、僕はチラシの値段を確認する

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やあ、母さん元気かい。

 

さっきスーパーで買い物をしてきたよ。
たまたま卵が特売だったんだ。いつもより50円も安くなってて得した気分だ。
新聞をとってないから、特売とかわからないんだよね。

 

田舎では全然料理を作ったことすらなかった僕だけど、
こっちに来てからは料理をするようになった。

 

3日に1度のペースくらいでスーパーへ買い物へ行く。
15分くらい歩くスーパーにいっているので、けっこう大変だ。
特にでかい水のペットボトルなんかあるとさらに重い。
重くて袋が手にギリギリと食い込み、痛い痛い。
なんども持ち手を変えたりして進んでは休み、進んでは休みを繰り返す。
いったい、何の苦行なんだろうね(笑)

 

そうそう、スーパーで買い物をしててふと気づいたんだ。
最近話題になっている舛添東京都知事が辞めざるをえなくなった理由を。

 

舛添さんはなぜこんなにも異常に、都民や国民の反感をかって辞めざるをえなかったのか疑問だったんだ。
たしかに前にもいろんな人に「政治と金」の問題があった。
しかし反感はかったけど、今回ほどに反感は盛り上がりはしなかったし、辞めざるをえなくなった人はそういなかった。

 

少し前にも企業をあっせんして賄賂をもらったんじゃないか疑われた大臣がいたよね。
彼の対応と今回の舛添さんの対応は、けっこう似てる。
同じようにちゃんと説明しなかったり、屁理屈で説明したり、弁護士の調査を待つという手を使ったりとか。
冷静に見ると対応として、けっこう言っていること、やっていることはそれほど変わらない。

 

疑惑のある政治家はみんな同じような手を使うし。
今回の対応もさほど変わりあるようにも思えない。
でも舛添さんへの反感は異常に盛り上がり、辞めざるをえなくなった。
同じようなことをやっているはずなのに。

 

そこでわかったんだ。
舛添さんが辞めざるをえなくなった大きな原因は、「高額品」でなく「日常品」に対してそういう疑惑があったからだと。

 

日常品というと、食事、趣味の文具品、本、トイレットペーパー、着る物、旅行とか。
普段の僕らに生活にすごく密着している日常品について疑惑があったから、こんなにも反感をかったのだと思う。
やはり日常品はあまりにも僕らの生活に密着し、リアリティがあり、自分事としておきかえられる。
それはまるで、同じ生活水準の隣人が不正しているように感じることだろうな。

 

逆に、高額品だけの疑惑なら簡単にすり抜けることができたと思う。
「出張でスイートルームやらなんやらでうん千万、うん億かかった」、
「企業から賄賂をうん千万もらった」といった疑惑ならすり抜けることができた。
多少の反感はかうけど、その金額に庶民の僕らにはあまりにリアリティがなく、自分事としておきかえられない。
なので人はそれほど心の底から反感を思わないだろうな。

 

簡単にいうと、人は車や家など高額品を買うときは1万や10万円の差はたいして気にもしないのに、スーパーの食料品の5円や10円の差はすごく気にする。
それと同じような感覚で、生活に密着している日常品だとすごい気になる。自分事のように気になる。
そしてすごい気に入らなくなる。そして強い反感となる。
だからみんなこんなにも怒った。

 

最近みた詐欺の話題のテレビで、「人は100万の詐欺には引っかからないが、100億円の詐欺には引っかかる」と名言をいってたけど、これが逆に働いたような感じだろうな。
言い換えると「人は100億円の不正には気にならないが、100円の不正には気になる」かな。
リアリティがあるないってことの恐ろしさを感じるよ。

 

僕はスーパーの帰りの道のりでそんなことを思ったんだ。
重い袋を持ちながら、手に袋の持ち手を食い込ませながら、持ち手を何度も変えながら。
あー重いって思いながら。

 

 

さて、今日の献立は何にしようかな。

 

そうそう、今でも家を出た時に母さんがくれた「味噌汁の作り方」のレシピをまだ持っているよ。
空き箱を切り抜いた厚い紙で作った、ハガキサイズの手書きのレシピ。
都会にきた当初は、味噌汁すら満足に作れなかった僕はいろいろ作れるようになった。

 

いつか帰った時に母さんに僕の手料理を食べさせてあげる日がくるかもね。
それじゃあ、また。