やあ、母さん元気かい。
今日は昼飯で外食をしたよ。
そこは定食屋で、どの料理も美味しいのでよく通っている。
でも、座る場所がとても狭いんだよな。隣との間隔も狭いし。
母さんは知らないけど、都会はせまぜましい感じの店は当たり前のようにあるんだ。
田舎だと、定食屋とか喫茶店とか無駄に広かったりするよね。
そんな感じの店は都会ではあまりないよ。
客もそんないない無駄に広い店で、ゆったりと過ごして食事していた頃がなつかしいよ(笑)
そうそう、最近都会から外れたところを歩く機会があった。
ビルもなく、建物もそれほど高くないような街だ。
夕方だったので、夕日が少し眩しかった。
そして、なにか眩しいのが久しぶりだった。
そこで、ふと気づいたんだ。
あれ?なんで最近、眩しいって思うことが少ないのだろうと。
都会にいる時は、それほど眩しいと思う機会がない。
ふと思い返すと田舎では、よく眩しい思いをしていた気がする。
日中出歩いた時の眩しさ、夕方の眩しさ。
眩しい思いをして、毎日を生活していたと思う。
田舎は眩しいのに、都会は眩しくない。
もちろん考えればわかることだ。
都会ではビルが多いし、マンションもあるし、3階立ての家もある。
高い建物がたくさんあるし、それに家と家の間が密集している。
道路という道路も、ギリギリまで狭まっていたりする。
なので、太陽が隠れて眩しくない。
でも、田舎は違う。
ビルなんてないし、高い建物もない。家が高くても2階までだし。
家と家の間もそんな密集してるわけじゃないし、広く空いた空間がある。
また道路も無駄に広かったりもする。
太陽の隠れる隙間なんて、ほとんどない。いつも太陽とコンニチワだ。
そこで思ったんだ。
「田舎の過疎が進んでいるのは、太陽が眩しいせいではないのか?」って。
眩しい田舎に住んでいた人が、大学入学とかで都会にきて、その眩しくなさに快適さを覚えたのかもしれない。
で、帰省すると田舎の眩しさに目をやられて、とても不快に感じると。
都会にいった人が田舎に戻らない理由として、「田舎はつまらない」とか「田舎には仕事がない」とか理由をあげるけど、本当はそれらの理由は別にどうでもいいのかもしれない。
ただ眩しいから、不快だから、無意識にそう思ってるだけじゃないかな。
人って意外とくだらないことをすごく気にするから。
スイッチ1つだと使うけど、スイッチ2つだと使わなかったり。面倒くさがりだし。
また田舎は、街を歩いている人が少ないのは、眩しいせいなのかも。
眩しくて街を歩かない、または車で遠くの大手スーパーにいってしまう。
人がこない、商品の売上が下がる、商品の質が下がる、人がこない…
そんなループなんじゃ。
眩しくて田舎にいられない。
昔は「若者が都会の眩しさに惹かれ、みんな都会にいってしまう」といわれていたけど、「本当に眩しかったのは田舎でした!」というのは、なんとも皮肉な感じだね(笑)
…
でも都会は、太陽をさえぎることで「影」が生まれる。
影があるから、いろんなものを隠すことができる。
悪どいことも、いろんな感情も、そして自分自身も…なんてね。
しかし、学生時代の帰り道の、地元の商店街の眩しさは半端なかったね。
2車線で道路は広く、まっすぐ伸びた道路がモロ夕日と直線だ。
眩しくて帰るのがとてもつらかった。
なんて作りの悪い商店街だ…
まあ都会みたく計算されて作られてるわけじゃなく、適当だからな…
ほんとうちの地元は適当だよ…
母さんも太陽に目をやられないように気をつけてね。
あーでもサンバイザーをつけてるかな。
そういえば今気づいたけど、ホッカムリって目を守る役目もあるんじゃ…
昔の人の知恵かな~
もしや今の人はオシャレを気にしてサンバイザーやホッカムリをつけない…
そこに…
それじゃあ、また。